島津氏、琉球出兵 1609年

2023年4月30日

1609年、薩摩藩が琉球王国を侵略し征服した戦い。

守礼門 Wikipediaより

15世紀の前半に成立した琉球王国は、明との朝貢貿易によって利益を上げ、200年ほどの間に大きく発展していた。

一方、成立したばかりの徳川幕府にとって、豊臣秀吉の朝鮮出兵で険悪になっていた明・朝鮮との関係修復が懸案であった。朝鮮とは対馬の宗氏の仲介で1607年に和睦が成立したため、次に明との講和を急いだ幕府は、斡旋役を琉球に求め、同国に幕府への従属を促した。明との冊封体制に重心をおく独立国家である琉球はこれを拒む。

他方、薩摩の島津氏は関ヶ原の敗戦により逼迫した財政を再建することが急務であった。そのため、貿易利権を獲得する狙いから琉球を支配下に置こうとして幕府に琉球への出兵を嘆願する。明との関係修復を最優先する幕府は、これを承認した。

こうして島津氏は1609年3月、3,000の兵を率いて琉球に攻め入った。薩摩の圧倒的な軍事力の前に、琉球はわずか10日間で敗れ、都である首里城を明け渡した。

しかし、琉球王国は滅ぼされることなく存続を許され、明に服従し朝貢貿易を続けた。

明に従う意思を示した国の王だけが貿易できるとした朝貢貿易のため、薩摩藩は直接明と貿易をすることができなかったかである。

しかし実際に琉球を支配していたのは薩摩藩であり、その背後には徳川幕府がいた。

江戸

Posted by kojiro