武家諸法度発布 1615年

2023年4月30日

武家諸法度は、江戸幕府が大名統制のために武家の守るべき義務を定めた法令。

徳川家康が、大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼした直後の1615(元和1年)年7月7日、諸大名を伏見城に集め秀忠の名でこれを発布した。金地院崇伝の起草になる13ヵ条の法度。「元和令」ともいう。

主な内容は、「文武弓馬の道、もっぱら相嗜むべき事」以下、罪人を隠すな、召抱え人の内反逆者・殺人者が出れば追放せよ、他国者を国内に置くな、居城の修理の際は報告せよ・新たな築城は禁止、大名同士が許可なく婚姻を結ぶな、参勤作法、倹約せよ、国主は政務に通じている者を選べ、等となっている。

その後、3代将軍家光の時代に改訂が行われ19か条となった。林羅山が起草した。1635年(寛永12)年に発布されたため、「寛永令」ともいう。

この寛永令では、参勤交代の具体的方法の規定や500石以上の大船建造の禁などのほか、私的な関所の設置を禁じ、道路や橋などを整え、往来や港の流通を確保することなどが加えられた。

その他にも幕府や幕府の役人への報告や指示を受ける規定など細かく拘束を加えた。

この寛永令の制定により、法による幕府の大名統制はいっそう強化された。

江戸

Posted by kojiro