足利尊氏、征夷大将軍となる 1338年
1338年、足利尊氏は光明天皇から征夷大将軍に任じられ、室町幕府が名実ともに成立した。
翌年、後醍醐天皇が吉野で崩御すると、尊氏は後醍醐天皇の菩提を弔うため、当時帰依していた禅僧夢窓疎石の勧めに従って、京都嵐山に天龍寺の造営を開始した。 ...
後醍醐天皇、吉野に移る 1336年
1336年11月、持明院統の光明天皇(北朝)へ神器を譲った大覚寺統の後醍醐天皇は、12月に京を脱出して吉野へ逃れた。
後醍醐天皇は、光明天皇に譲った三種の神器は偽物であり自らが帯同したものが本物であると称して独自の朝廷(南朝)を樹立した ...
建武式目制定 1336年
武家政権の施政方針を示す「建武式目」を制定。
1336年6月、足利尊氏は数々の戦いを制し再び京都を制圧した。11月、尊氏は比叡山に逃れていた後醍醐天皇から三種の神器を取り上げ、光厳上皇の弟光明天皇を即位させた。
直後の11月 ...
足利尊氏、反す 1336年
足利尊氏、後醍醐天皇からの上洛の命令を拒む。
1335年、中先代の乱を制し北条氏を一掃した足利尊氏は、後醍醐天皇からの上洛の命令を拒んで、そのまま鎌倉に留まり、功績のあったものに対し独自に恩賞を与えはじめた。
こうした尊氏の ...
中先代の乱 北条時行 1335年
1335年、北条高時の遺子の北条時行が鎌倉幕府再興を企て、足利直義を破って鎌倉を占拠したが、足利尊氏に鎮圧された事件。
尊氏はこれを機に建武政府と離反した。鎌倉時代の北条氏を「先代」と呼んだため、その再興を図った時行を「中先代」と称した ...
建武の新政(中興)後醍醐天皇 1333年ー1336年
建武の新政とは、鎌倉幕府滅亡後の1333年6月から、足利尊氏に降伏する1336年10月までの後醍醐天皇による政治のこと。
天皇は配流先の隠岐から京都に帰還すると、律令政治の再興を標榜して新政に着手した。武家による政治を倒し、天皇による親 ...