明応の政変 家臣が将軍を廃するクーデター 細川政元 1493年
1489年3月、9代将軍足利義尚が没する ...
加賀の一向一揆 本願寺門徒による自主管理の体制を確立 1488年
1471年、一向宗の本山・石山本願寺の蓮如は越前国吉崎(現福井県あわら市)に下向して真宗(一向宗)の布教を始めた。
一向宗が広まることを恐れた加賀の守護・富樫政親が弾圧 ...
山城の国一揆 一揆指導者による自治支配を確立 1485年
1467年に始まった応仁の乱は1477年に終息していたが、南山城では、なお畠山政長・義就両軍による戦闘が続いていた。
両軍は宇治川を挟んで対峙した ...
応仁の乱 守護大名の没落と戦国大名の誕生 1467-1477年
応仁の乱の直接の原因は、足利将軍家の継嗣問題と、ともに管領家である斯波・畠山両氏の家督争いであった。
将軍足利義政には子がなかったため ...
堀越公方 足利政知 1458年
鎌倉公方足利成氏が幕府に背き古河へ移ると、関東管領上杉氏は、成氏に対抗するために幕府に新たな鎌倉公方の下向を求めた。
そこで将軍足利義政は、1458年、新公方として弟の政知を鎌倉へ下向させ、成氏征伐を命じた。
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鎌倉公方足利成氏が、古河に移る(古河公方)
永享の乱で鎌倉公方足利持氏は自殺し鎌倉府は滅亡したが、関東管領上杉氏は1449年、幕府に請うて持氏の子成氏を鎌倉に迎えた。
しかし1454年、成氏は関東管領上杉憲忠を殺したことにより、幕府に攻められ下総古河に拠って幕府に反 ...
嘉吉の変 赤松満祐、将軍足利義教を暗殺 1441年
室町幕府創設以来の功臣だった赤松は、将軍足利義教に疎んじられたのに反発し、義教を自邸に招いて謀殺。満祐はやがて幕府軍に討伐され、一族とともに自刃した。
当初、義 ...
結城合戦 結城氏朝 1440年
永享の乱で実権を握った上杉憲実は、持氏殺害の責を自らに課し、関東管領の職を辞した。そして、憲実 ...
永享の乱 足利持氏、室町幕府に背く 1438年
幕府と鎌倉府、すなわち将軍家と鎌倉公方の関係は両府の成立以来、必ずしも良好とはいえなかった。また、両者の間に立つ関東管領上杉氏と、鎌倉公方足利氏の間も微妙な関係にあった ...
正長の徳政一揆 畿内諸国で徳政を求める土民の一揆 1428年
酒屋、土倉などの金融業者の高利や強制取立てに苦しんだ畿内および近国の百姓・馬借らは、債務 ...