版籍奉還 封建的な藩体制解体への第一歩 1869年
1869(明治2)年6月、諸藩主が版(土地)と籍(人民)の支配権を朝廷に返上した政治変革。
新政府は、中央集権体制を確立するため版籍奉還の必要を考え、大久保利通・木戸孝允・板垣退助・大隈重信らの間で計画を進め、それぞれの藩主を説き、69 ...
神仏分離令 廃仏毀釈 1868年
明治新政府が、1868(慶応4)年3月、天皇の神権的権威を確立するためにとった神道保護と仏教排斥の宗教政策。
政府は祭政一致を具体化するため、神仏習合を禁止し、神社から仏像・僧像・経典などを、また寺院からは神社関係物を除去し、神社所属の ...
五カ条の誓文 新政府による天皇を中心とする政治の基本方針を示す文書 1868年
新政府が戊辰戦争さなかの1868(慶応4)年3月14日に出した、天皇を中心とする新しい政治の基本方針を示す文書のこと。
誓文は、明治天皇が京都御所の紫宸殿で、公家や大名を率い神々に誓うという形式で出され、このような儀式は、国家の中心に天 ...
戊辰戦争 新政府軍が旧幕府軍を破る 1868~69年
1868(慶応4)年1月の鳥羽・伏見の戦い後、新政府軍が江戸へ退去した幕府軍を追って軍を進め、翌1869(明治)2年の五稜郭の戦いにまで至る一連の戦いのこと。
1868年が干支で戊辰(つちのえたつ)の年にあたるため、この呼称がある。
王政復古の大号令 江戸幕府の終焉 討幕の密勅 辞官納地 1867年
1867(慶応3)年12月9日、薩長両藩を中心とする討幕派が発した。
幕府を廃止し、天皇のもとに新たな職を置いて有力な藩が共同で政治を行う形をとるようにしたものである。
10月14日、朝廷内の岩倉具視らと結んだ薩長両藩は、朝 ...
鳥羽・伏見の戦い 旧幕府軍と新政府軍との戦い 1868年
鳥羽・伏見の戦いは1868(慶応4)年1月に、徳川慶喜擁する旧幕府軍と、薩摩・長州両藩を中心とする新政府軍とのあいだに起きた武力衝突のこと。
鳥羽街道と伏見街道が主戦場となったため、この名がある。この戦いは翌年の函館戦争(五稜郭の戦い) ...
大政奉還 徳川慶喜 1867年
第15代将軍徳川慶喜は1867(慶応3)年10月14日、大政(=政治を司る権利)を朝廷に返上した。
徳川慶喜は、フランスの援助のもとに幕政の立て直しに努めていた。一方、1867(慶応3)年、前年に同盟を結んでいた薩長両藩は、武力討幕を決 ...