明治・大正

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1877(明治10)年2月、鹿児島の士族が西郷隆盛を擁して起こした反政府反乱。

征韓論に敗れ下野した西郷らは、鹿児島に帰り士族組織として私学校を設立し子弟の教育にあたった。

当時の鹿児島は、政府の中央集権政策に反対する士族が ...

明治・大正

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明治初期、新政府に不満を持つ士族が各地で起こした反政府武装蜂起のこと。

旧武士階級であった士族の中には、新政府による旧藩体制の解体によって官職を失い、失業する者も多くいた。

そうした士族の政府に対する不満が徐々に膨張していく ...

明治・大正

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1875(明治8)年9月 20日、朝鮮半島の西沿岸で示威行動中の日本軍艦雲揚号が漢江河口の江華島砲台の砲撃を受けたのをきっかけに、同島を報復占領した事件。

明治政府はその発足以来、朝鮮との国交を強く要求しており、朝鮮近海にしばしば軍艦を ...

明治・大正

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樺太・千島交換条約とは、1875(明治8)年5月7日、日本とロシアとの間で調印された国境確定条約のこと。

樺太は1855年2月の日露和親条約で国境画定ができず、日露双方の雑居・共有とされたため、その後も紛争が絶えなかった。明治新政府もこ ...

明治・大正

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大阪会議は、1875(明治8)年1月から2月にかけて大久保利通が木戸孝允・板垣退助らと密かに大阪で会い、立憲政治の樹立及び人事等について協議した秘密会議。

大久保を中心とした明治新政府は、明治6年の政変で西郷隆盛ほか多くの人材を失ったあ ...

明治・大正

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台湾に漂着した琉球島民が台湾の原住民に殺害された事件(1871年)に対し、政府は清国に抗議したがいれられず、1874(明治7)年、清国の責任を追及するために台湾に出兵した事件。

当時琉球は日本と清国の両方に朝貢しており、両国間でその帰属 ...

明治・大正

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1874(明治7)年2月、佐賀県下の士族が政府に反対して蜂起した事件。

1873(明治6)年10月に征韓論をめぐる政治抗争に敗れた(明治6年の政変)江藤新平は下野し、民撰議院設立の建白書に名を連ねたあと、佐賀に帰国した。

当 ...

明治・大正

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1874(明治7)年、板垣退助・後藤象二郎・副島種臣らが藩閥専制を排し、民選議院の開設を求め、左院に提出した意見書。

発足したばかりの明治新政府の要職は、薩摩・長州など雄藩出身の一部政治家によって占められていた。

征韓論がい ...

明治・大正

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明治初期、新政府内部で唱えられた朝鮮に対する侵略の主張のこと。

日本と朝鮮は室町時代から朝鮮通信使の往来があり、対馬藩を通じて国交も継続されていた。

明治新政府は成立以来、これまで通り朝鮮と国交の継続交渉を求めたが、欧米列強 ...

明治・大正

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1871(明治4)年7月14日、全国の藩を廃止して県を設けた政治的変革。

1869年の版籍奉還で、政府は諸大名に命じて領地と領民を天皇に返上させたが、藩主は石高にかわる家禄の支給を受け、そのまま知藩事とされて藩政にあたったため、中央集権 ...