日独伊三国防共協定 ソ連を中心とする国際共産主義運動への対抗 1937年
1936(昭和11)年、ソ連を中心とする国際共産主義運動への対抗を掲げて、日本とドイツは日独防共協定を結んだ。翌年イタリアがこれに参加し、日独伊三国防共協定が締結された。
こうして国際的孤立を深めていた3国は反ソ連の立場で結束し、枢軸陣営を形成した。
1930年代半ば、第一次世界大戦後の秩序(ヴェルサイユ・ワシントン体制と呼ばれる)が崩壊しはじめていた。
日本が満州事変(1931年)を起こし日中戦争に突入した頃、ドイツではヒトラーが登場(1933年)し、全体主義体制を確立した。
ヒトラーは、ヴェルサイユ体制の打破を唱えて国際連盟から脱退し、大戦の敗戦以来禁じられていた再武装に踏み切った。
イタリアではムッソリーニによる一党独裁が確立され、1935年のエチオピア侵攻をきっかけに国際連盟とも対立した。1936年にスペイン内戦が起こると、ドイツ・イタリア両国は連帯を強めて枢軸を形成した。
一方ソ連は、第一次5か年計画(1928~32年)によって重工業化とともに農業集団化を推し進め、急速に国力を高めた。
さらには、アメリカによる承認(1933年)、国際連盟加入(1934年)等、国際社会におけるソ連の地位は向上した。
こうした情勢のなか締結された日独伊三国防共協定は、ソ連だけでなく米・英・仏などの列強諸国を刺激し、両陣営の対立が深まっていくことになる。