羽柴秀吉、四国平定 長宗我部元親 1585年
1585年(天正13)羽柴秀吉が長宗我部元親を討って四国を統一した戦い。
当時の四国は、土佐の長宗我部元親が四国をほぼ統一していたが、それ以前から賤ヶ岳や小牧・長久手の戦いなどで、ことごとく秀吉に敵対していた。そのため秀吉は、元親討伐を決意する。
これに対し、元親は伊予一国の割譲を条件に和睦を申し入れたが、秀吉はこれを拒否、伊予・讃岐・阿波国の返上を申し付けた。
これによって、元親と秀吉の和睦交渉は決裂し、ついに1585年6月16日、秀吉は総勢10万を越える軍勢を四国に出陣させた。
秀吉軍は、伊予・阿波・讃岐の3国それぞれに分派して上陸し、進撃を開始する。三方面からの攻撃を受けた元親は、7月25日降伏し土佐一国の支配を認められたもののそれ以外の3国を没収された。
元親の軍勢は、一領具足と呼ばれる、普段は農作業をしている者たちで、兵農分離を終え兵を整えた秀吉の軍勢の前には、抗し得なかった。