小谷城の戦い 浅井長政一族滅亡 お市と姫は救出 1573年
1573年8月8日から9月1日まで、織田信長と浅井長政との間で行われた戦い。敗れた浅井家は滅亡した。
1570年の姉川の合戦に勝利した織田信長は、その後も浅井・朝倉両氏の攻略を進め、翌1571年には、比叡山を焼き討ちして、さらに浅井氏を圧迫する。
1572年、当時信長とほぼ勢力が拮抗する武田信玄が西上を開始、その途上三方ヶ原で徳川家康軍を撃破した。しかし、信玄が家康軍を破った後、陣中で病死し、武田軍は甲斐へ引き上げた。
こうして信長包囲網の一角が崩れると、信長は1573年7月、将軍足利義昭を京より追放し、さらに3万の軍勢で小谷城を取り囲んだ。この報に朝倉義景は、2万の軍勢を小谷城救援に送り込んだが、小谷城の防衛拠点の砦が落とされたことを知って撤退を始めた。そこを織田勢は追撃、そのまま越前へと侵攻し、8月17日には朝倉氏の本拠・一乗谷まで攻め込み、朝倉氏を滅亡させた。
このあと信長は取って返し、27日から小谷城の攻撃にかかる。28日より、長政のいる本丸にも総攻撃がかけられ、長政は5百の手勢でよく防戦したが、ついに9月1日、自刃した。浅井一族は、ここに滅亡した。