サンフランシスコ平和条約締結 主権の回復 1951年
1951(昭和26)年9月8日、サンフランシスコで講和会議が開かれ、日本と48か国とのあいだで調印された条約。翌年4月、条約が発効して約7年間に及んだ占領は終結し、日本は独立国としての主権を回復した。
この条約は、交戦国に対する日本の賠償責任を著しく軽減したが、領土についてはきびしい制限を加え、朝鮮の独立、台湾・南樺太・千島列島などの放棄が定められ、南西諸島・小笠原諸島はアメリカの施政権下におかれた。
この条約は、日本が交戦国の戦争被害に対しておもに役務の供与により賠償を支払う義務を定めたが、冷戦激化の情勢に応じて、アメリカをはじめ多くの交戦国が賠償請求権を放棄した。
これに対し、日本軍の占領を受けたフィリピン・インドネシア・ビルマ・南ベトナムの4か国はそれぞれ日本と賠償協定を結び、日本は1976(昭和51)年までに総額10億ドルの賠償を支払った。その支払いは、建設工事などの役務の供与や生産物の提供という形をとったため、日本の商品・企業の東南アジア進出の足がかりとなった。また、非交戦国のタイや韓国に対しても、日本は賠償に準ずる支払いを行った。