上杉禅秀の乱 鎌倉公方足利持氏への反乱 1416年

2023年4月30日

1416年から翌年にかけて犬懸上杉氏の上杉氏憲(法名禅秀)が鎌倉公方足利持氏に対して起こした乱。

禅秀は関東管領の職にあったが、禅秀の家人の領地を持氏が没収したことから、持氏と対立して辞職した。そもそも、この2人は仲が悪かった。

また、持氏がその後任に山内上杉氏の上杉憲基を任命したことにより、禅秀の反持氏が公然化した。この頃の上杉氏は山内・犬懸・詫間・扇谷の4家が勢力を競っており、禅秀は上杉憲基とも不仲だった。

そこで禅秀は1416年10月、将軍足利義持や持氏に対して不満を持つ関東の豪族と手を組んで挙兵した。この中には、持氏の叔父である足利満隆もいた。

禅秀らは持氏のいる鎌倉の御所を急襲し、鎌倉を占領した。この時、持氏は御所を脱出し駿河の今川範政のもとに逃れている。

将軍足利義持は、持氏支援のために幕府軍を派遣する。これにより一気に幕府方の優勢となり、禅秀、満隆は自害し反乱は終息した。

この乱の結果、幕府と鎌倉公方、鎌倉公方と関東管領のそれぞれが互いに牽制しあう微妙な力関係が生まれ、新たな問題の火種となった。

室町・織豊

Posted by kojiro