士族の乱(神風連・秋月・萩)1876 年

2023年5月1日

明治初期、新政府に不満を持つ士族が各地で起こした反政府武装蜂起のこと。

神風連の乱 Wikipediaより

旧武士階級であった士族の中には、新政府による旧藩体制の解体によって官職を失い、失業する者も多くいた。

そうした士族の政府に対する不満が徐々に膨張していくとき、政府は、1876(明治9)年3月刀令を布告し、8月には禄処分を強行した。この二つの措置は、士族に残されていた特権のすべてを奪い取るものであった。

これを契機として同年10月、熊本の神風連が蜂起し、続いて福岡・秋月、山口・萩の士族が反乱を起こした。

【補説】

廃刀令:1876(明治9)年、明治政府が軍人・警察官以外の帯刀を禁止した法令。苗字帯刀を武士の特権とした士族たちの中には、廃刀令を不満とした者が多かった。

秩禄処分:明治新政府が封建武士団に対する俸禄支給を整理、廃止した措置。

 

 神風連の乱

1876(明治9)年10月24日、熊本で起った士族の反乱。敬神党の乱ともいう。

保守国粋を標榜する敬神党は、新政府の開明政策に反対していたが、1876年3月の廃刀令の発布にを発し、同年10月24日、党首領太田黒伴雄らが決起し、百数十人に上る武装集団で熊本鎮台を襲った。翌日鎮台兵により鎮圧された。これは秋月の乱、萩の乱の導火線となった。

 

秋月の乱

1876(明治9)年10月27日、福岡県秋月(現在の朝倉市)で起こった士族の反乱。

国権の拡張を唱える旧秋月藩士宮崎車之助らは、新政府の政策、特に征韓問題に対する政府の処置に不満を持っており、熊本の敬神党(神風連)や山口県萩の前原一誠らと連携していた。

宮崎らは、神風連の挙兵に呼応し10月27日、二百数十名で立ち上がり、萩の前原らに合流しようとして兵を豊前豊津に進めたが、小倉鎮台の政府軍により鎮圧された。

 

萩の乱

1876(明治9)年10月28日、山口県萩で起こった士族の反乱。

指導者の前原一誠は、松下村塾に学び、討幕運動に参加、戊辰戦争では北越軍の参謀として活躍した。

新政府では参議を経て兵部大輔となったが、武断主義の前原は、開明的な政府の方針や同郷の木戸孝允らと対立して辞職、郷里萩に帰った。

士族の間で徳望が高かった前原は、政府の近代化政策の進展に不満を抱える不平士族に擁立され、秋月の乱に呼応して10月28日、反政府の旗を掲げて蜂起した。しかし期待した薩摩の士族らの協力は得られず、広島鎮台によって1週間余で鎮圧された。

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明治・大正

Posted by kojiro