樺太・千島交換条約 ロシアとの国境確定条約 1875年
樺太・千島交換条約とは、1875(明治8)年5月7日、日本とロシアとの間で調印された国境確定条約のこと。
樺太は1855年2月の日露和親条約で国境画定ができず、日露双方の雑居・共有とされたため、その後も紛争が絶えなかった。明治新政府もこの問題を引き継ぎ、政府内では様々な議論がなされたが、北海道開拓使次官黒田清隆はロシアとの紛争を避け、北海道の開拓に全力を挙げるべきであると説き、樺太の放棄を主張した。
政府はこの黒田の意見を取り入れ、榎本武揚駐露公使がロシアとの交渉に当たり、日本が樺太に持っていた一切の権利をロシアに譲る代わりに、千島全島を領有することで合意が成立した。