承和の変 藤原良房が伴健岑・橘逸勢を追放 842年

2023年4月30日

842年に藤原良房が伴健岑・橘逸勢を追放した事件。藤原北家が摂関政治体制をつくり上げる出発点となった。

藤原良房 Wikipediaより

中納言藤原良房は、皇太子恒貞親王を廃し、妹順子(じゅんし)の生んだ道康親王(第55代文徳天皇)を皇太子にして皇室との関係を深めようと画策していた。

842年、嵯峨上皇が没すると、伴健岑(こわみね)と橘逸勢らが謀反の疑いをかけられ突然逮捕された。健岑、逸勢は、それぞれ隠岐、伊豆へ配流となり、恒貞親王は皇太子を廃された。

こうして良房は名族大伴氏、橘氏の勢力をそぐとともに道康親王の立太子を実現し、自らも大納言に進んだ。

この事件は藤原北家が摂関政治体制をつくり上げる出発点となった。



平安

Posted by kojiro