由井正雪の乱 浪人たちによる幕府転覆計画 1651年
1651(慶安4)年、由井正雪、丸橋忠弥を首領とする浪人らが、江戸幕府を転覆しようとした陰謀事件。
戦国時代の気風がいまだ残る徳川家康から3代将軍家光治世までの間、幕府は武威・強権をもって諸大名ほかの勢力を抑えた。これを武断政治という。
幕府は武家諸法度の厳格な適用によって、多数の大名を改易・減封に処したほか、末期養子の禁などで多くの浪人を生じさせた。さらに寛永期(1624~1644年)になると、諸大名家での家臣召抱えが控えられるようになったため、街中には浪人が大量発生した。幕府による浪人に対する生活の保障や保護等の対策もなかったため、浪人たちは寺子屋や道場の師範となる例もあったが、多くの者は生活に困窮していた。
由井正雪は兵学者で兵法を教える塾を開設していた。最盛期には3000人もの門下生がいたという。正雪は、家光の死を契機として、幕政への批判と浪人の救済を掲げ、槍術家の丸橋忠弥などとともに挙兵し幕府転覆を企てた。しかし、決起の寸前に内通者によって計画の存在を密告され、幕府の知るところとなった。正雪は静岡で自殺し、2000余名が捕らえられた。
その後幕府は、浪人対策を重視し大名の改易を減じるとともに、末期養子の禁を緩和するなど浪人の発生を防ぐ政策をとり、文治政治への転換を図っていくこととなる。
≪スポンサーリンク≫