江戸幕府 キリシタンの増加
江戸時代初期には、朱印船貿易制度の崩壊とは別に、もう一つの問題があった。それは国内におけるキリシタンの増加である。
キリスト教は1549年にフランシスコ・ザビエルが来日して以来、西日本を中心に広まっていった。しかし、その教えが封建制にそぐわないと考えた豊臣秀吉によって、1587年に宣教師を追放するバテレン追放令が出される。さらに1596年のサン・フェリペ号事件の後、宣教師と信徒計26人が処刑された。このようなキリシタン弾圧の方針は、江戸幕府も受け継ぐことになる。
1613年に全国に禁教令を出し、キリスト教の信仰を禁止した。
そして、1637年の島原の乱以降は、キリシタン弾圧はさらに激しくなり、踏絵や宗門改など次々と対策が打たれていった。
一部の信者が隠れキリシタンとして残るが、多くの信者はキリスト教を捨てざるを得なかった。