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明治・大正

1905(明治38)年5月27日から翌日にかけて、東郷平八郎率いる連合艦隊が、ロシア・バルチック艦隊を対馬沖で迎撃し、日露戦争における日本の勝利を決定づけた海戦 ...

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明治・大正

1905(明治38)年2月20日から3月10日にかけて、ロシアの拠点奉天付近で戦われた日露戦争中最大の地上戦。 日露両軍あわせて約60万に及ぶ将兵が、18日間に ...

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明治・大正

日露戦争開戦の半年後、1904(明治37)年8月22日に日本が大韓帝国(韓国)に認めさせた協約で、3次にわたる日韓協約の最初のもの。 日本政府が推薦する財政と外 ...

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明治・大正

日本が韓国を日露戦争における対ロシア作戦基地とするため、1904(明治37)年2月22日、韓国との間に取りかわした政治的、軍事的協定書。 ロシアとの開戦を決めた ...

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明治・大正

日本とロシアが朝鮮と満州の支配をめぐって戦った戦争。 1904(明治37)年、日本の旅順攻撃に始まり、翌年の奉天会戦、続いて日本海海戦で日本が勝利を収めたことに ...

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明治・大正

労働運動は治安警察法による弾圧を受けながらも、日露戦争前後の社会不安が激化するなかで社会主義思想と結びつき、一時的に高まった。 日露戦争が避けがたい情勢になると ...

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明治・大正

1902(明治35)年1月30日、ロシアの極東政策に対抗するため、日本とイギリスの間に結ばれた同盟。 ロシアは北清事変を契機として満州を事実上占領し、独占的権益 ...

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明治・大正

1897(明治30)年、福岡県八幡(現北九州市)に設置された、日本最初の本格的官営製鉄所。 政府の殖産興業・富国強兵政策、とりわけ日清戦争(1894〜95)後の ...

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明治・大正

日清戦争後、列国の中国進出が加速する中、清国の宗教団体義和団が、「扶清滅洋(清朝を助け、西洋を滅ぼす)」を唱えて蜂起した外国人排斥運動。 義和団は1900(明治 ...

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明治・大正

「眠れる獅子」といわれた清国が日本に敗れると、1898(明治31)年から列強の中国分割が始まった。 ⓵ロシア 東清鉄道敷設権、旅順・大連の25年間租借権、南満州 ...