戊辰戦争 新政府軍が旧幕府軍を破る 1868~69年
1868(慶応4)年1月の鳥羽・伏見の戦い後、新政府軍が江戸へ退去した幕府軍を追って軍を進め、翌1869(明治)2年の五稜郭の戦いにまで至る一連の戦いのこと。
1868年が干支で戊辰(つちのえたつ)の年にあたるため、この呼称がある。
鳥羽・伏見の戦いで勝利した新政府軍は、同年2月、東海道、東山道、北陸道の三方に分かれて進発した。
徳川慶喜は恭順の意を示し、勝海舟を通じて交渉して、自らの助命と引き換えに江戸城の自発的開城(江戸開城)を約束させた。新政府軍の交渉役は西郷隆盛であった。
一方で、徹底抗戦を叫ぶ旧幕臣たちは上野を根拠に彰義隊を結成し、新政府軍と戦うが敗れた(彰義隊の戦い)。
また、鳥羽・伏見の戦いで賊名を負った会津、桑名両藩にも新政府から追討令が出された。奥羽諸藩は会津藩の赦免を新政府に願い出るがいれられず、ついに5月、北越諸藩を加えた奥羽越列藩同盟を結成し、新政府軍と対決した(北越戦争)。
新政府軍はこれを平定し、次いで9月、会津藩を降伏させた(会津戦争)。
これに先立ち、旧幕府海軍副総裁榎本武揚らが、江戸を脱出し箱館・五稜郭を占拠し、新政府軍との間で戦闘を繰り広げたが、1869(明治2)年5月18日、榎本らが降伏して五稜郭は開城された(五稜郭の戦い) 。こうして戊辰戦争は終結した。
この戦いの結果、旧幕府体制は崩壊し、国内は新政府のもとに統一された。