応永の外寇 朝鮮軍による対馬攻撃 1419年
応永の外寇は、1419年に起こった朝鮮の軍隊による対馬攻撃をいう。乱の鎮静後、朝鮮と対馬宗氏は断交したが、倭寇の活動は下火となった。
この事件の背景には、14世紀半ば以降に活発化した倭寇問題が存在した。
1419年年5月、倭寇の船団が朝鮮半島の西海岸をかすめながら北上し、明に向かったが、途中、朝鮮を襲撃する事件が起きた。
この事件に対して朝鮮政府は、倭寇の根拠地・対馬への派兵を決定する。
同年6月19日、227艘の兵船、約1万7千人の軍勢が巨済島を出発、翌6月20日に対馬浅茅湾の土寄(尾崎)に到着し、戦闘が始まった。
6月26日、朝鮮軍は仁位郡に進撃したが、対馬の伏兵にあい、苦戦した。
対馬島主宗貞盛が朝鮮側に修好の手紙を出すと、朝鮮軍は撤退し7月3日に巨済島に帰還した。
この外寇のために、朝鮮と対馬宗氏は断交し、その後、対馬による関係復活交渉が活発化する。
またこの事件を契機として、倭寇の活動は下火になった。